わたしが携わっている京都シティーフィル合唱団が、来年の演奏会に向けてヴェルディの《レクイエム》を練習しているので、久々にムーティのリハーサル風景(DVD)を鑑賞しています。
この曲のリハーサルは、アバドも撮影されていて、そちらもかなり面白いです。若き日のガスディア嬢が見られたり、それを面白がる様子のヴァレンティーニ・テッラーニ、ケタケタと笑うチャーミングなカバリェなど、貴重なピアノ合わせから見られます。そしてアバドの色気のある音楽。どこまでもdolce cantabileです(わたしは彼の、口元に指を立てる仕草が好きです)。
ムーティは対照的に、痛み、苦しみに真正面からぶつかっていく音楽で、その点で一点の曇りもなく、確信に満ちた指揮をします。「Dies irae」の途中で彼はこんな話をします。「我々は祈らない。祈るのではなく、神に求めるのです。創造主である神に、その責任を果たしてもらうように」と。こうして音楽に強さが生まれます。宗教観の違いによって、このように音楽が変化するのかと驚いてしまいます。とても印象深いシーンです。最後のドミソの和音が、ハ長調の主和音か、ヘ短調の属和音か、団員(シカゴ交響楽団)に問いかけるのもまた、演奏に変化を呼び起こすように思います。
ちなみに最近視聴したのは、3年前に9.11の追悼演奏会で演奏されたネゼ=セガン指揮、METのレクイエムで、歌に寄り添った指揮でとても感動的な演奏でした。合唱の配置もより効果的に工夫されていたように見えました。
この曲はソロも合唱も恐ろしく難しく、歌う勇気はなかなか無いですが、ピアニストとして携わることが出来て幸せだと感じる作品です。