今週の金曜日は、京都芸術センターで、ペトロフピアノコンサートです。ヤナーチェク「霧の中で」、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」「道化師の朝の歌」、ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」、早坂文雄「ノクターン」、クライン「ソナタ」を演奏します。
お話をいただいたときに、真っ先に弾きたいと思ったのは、クラインのソナタでした。クラインは、ホロコーストの犠牲となったチェコのユダヤ人です。テレジーンで、「音楽活動」をしたことで知られています。括弧付きなのは、それが外国の厳しい目からそらすための目くらましであったためです。結局、1945年1月に殺されてしまいました。彼がテレジーンで作曲したというピアノ・ソナタを、ぜひ1910年代に贈られた京都芸術センターのチェコのピアノ、ペトロフで弾きたかったのです。以前より、田隅靖子先生や志村泉さんの演奏で知り、楽譜は手に入れていたのですが、なかなか踏み出せず…。いざ弾いてみると大苦戦で、曲の内容をなかなか掴むことが出来ず、?マークは広がるばかり。しかしよく考えたら、そんな極限の状態で書かれた作品を、平和ボケした日本人のわたしが、理解出来るわけがないじゃないかという思いに行き着き、なるべく自分の音楽語法を当てはめずに弾くようにしたところ、この曲のもつ救いようのない部分が見えてきました。
曲を理解しようとするとき、自分のもつ音楽の知識なり感性なり語法なりを総動員するわけですが、それらをひょいっと超えてくる作品は多いです。そういうとき鍛錬が足りないことを自覚することになります。わたしの一番思い入れのある作曲家ヤナーチェクの作品にしてもそうです。今回演奏する《霧の中で》も、いわゆる西洋の構造に当てはめると齟齬が生じます。例えば、3小節や5小節といった奇数のフレーズ構造はある種の座りの悪さを感じさせます。ヤナーチェクの場合、それらを「ごく普通に」弾くことで、らしさが出るように思います。こうした齟齬の多くは、彼の根底に流れているモラヴィアの民謡を聴けば解決します。イントネーション、歌いまわしなど、ヒントを与えてくれます。もちろん、チェコ語への理解も必須かと思います(頑張らねば)。本当に、音楽は奥が深くて、演奏はまだ見ぬ新大陸に向けた冒険です。
さて、その救われない、報われない、怒りと絶望に満ち満ちたクラインの曲をぜひ聴きにいらしてください。12月12日(金)京都芸術センターにて、19時開演です。