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栗塚旭さんのこと

もう10年以上前のことになりますが、わたしが初めて脚本を書いた朗読劇で、栗塚旭さんに朗読をしていただいたことがあります。ドヴォジャークの初恋をテーマとし、文学博士の友人に協力してもらい、なんとか書き上げた作品でした。(書くことは好きだったので、その後も色々書きたいものはありましたが、歳を取るごとに自分の能力のなさを目の当たりにして書けなくなるものです。)

縁あって、快諾してくださった栗塚さん。こちらとしては百戦錬磨の名優に自分の文章を読んでいただくとあって、かなり緊張しました。実際、厳しいお言葉をいただいたこともありましたが、その朗々とした、太くあたたかい声での語り口で説得力を持たせて下さり、ピアノを弾いていたわたしも惹き込まれていきました。

本番2日前のことでした。往年のスターということもあり、ファンの方も多くいらっしゃるので、舞台上の栗塚さんのお姿が見えづらいといけないから、配置を変更する提案をしたところ、激昂なさって、「優先順位は視覚じゃない。この作品で必要なのは声なのだから、いかに声を届けるかを考えるべきだ。配置を変えるなら僕は出ない!」と言われてしまいました。わたしは気が動転しましたが、その揺るぎない信念に感動しました。当たり前のことですが、音楽家も、客席にどのように音を届けるか、しっかりと見極めないといけないと思っています。

無事にその舞台は成功し、舞台から降りると、栗塚さんはもう本当に、気さくな優しいおじさんに変身。大ファンだというわたしの伯父にもフランクに話して下さって伯父は大喜びでした。その後も、京都の街を歩くと、なぜか栗塚さんに遭遇するという、不思議なことが続き、そのたびに楽しくお話してくださったのです。あるときはお茶屋さん、あるときは大丸百貨店、京都コンサートホール、ご飯屋さんでもお会いしたなあ…。いつも背筋がぴんと伸びて、時代劇俳優らしく、普段からお腹の底からお声を出しておられました。ご案内をいただいて、『蠢動』という映画を観に行ったこともあります。時代劇は不慣れなわたしが、興味を持つきっかけとなりました。いつお会いしても、満開の笑顔で、お亡くなりになったとは、とても信じられません。でも、最期まで現役でおられた。栗塚さんらしいように思います。少しでもご縁をいただいた者として、心からご冥福をお祈りします。合掌。