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吟遊詩人の世界

国立民族学博物館にて、「吟遊詩人の世界」を堪能してきました。音楽を生業とする端くれとして、その根源を知る上で、重要な展覧会だったと思います。

各地を転々としながら、歌とも語りとも言える詩歌を披露し、対価として食料などを得て生活する吟遊詩人たち。エチオピア高原の吟遊詩人や、バウルと呼ばれるベンガルの吟遊行者。彼らは社会の中で畏怖の対象とされていました。中には、彼らを追い返すと祟りに遭うという話まであったそうです。バウルになるには、社会的な地位を捨てて心身ともに修行に励む必要があり、そのような過程も何か人間を超越している存在として映っていたのかもしれません。何より、「音楽」を操る者、つまり神と交信を図る者という側面が、人々の畏怖を呼び起こしたように思います。人々は軒先で彼らの歌を聴くとき、彼らの口から神の言葉を聞いていたのでしょう。音楽の根源を垣間見た気がしました。

日本では瞽女という盲目の歌い手がいました。彼女らは雪深い山を歩き、民家の軒先で歌い、幾ばくかの米を貰い、生活していました。民博には、広瀬浩二郎教授という盲目の研究者がおられます。わたしは残念ながら行けませんでしたが、「世界の感触を取り戻せ!―目の見えない者は、目に見えない物を知っている」というタイトルで、瞽女の映画の上映会もありました。視覚に頼りすぎる現代社会に警鐘を鳴らしておられ、瞽女の展示品には直接触れることが出来ました。なるほど、彼女らがぶら下げた米袋の重さを知ることが出来、彼女らが厳しい道を歩いた草履の感触を知ることが出来ました。その展示品からは、「あなたはその目で何を見ているのか?」という強烈なメッセージを受け取りました。

社会福祉制度の充実とともに瞽女はいなくなり、バウルは、若者の文化と融合し、新しい形で現れています。必ずしも世俗との縁を断ち切る必要はなく、職業としても認められているようです。そのように商業化し生き残ることが喜ばしいことなのか、仕方のないことなのか、わたしにはわかりませんが…。

今一度、音楽を見つめ直すきっかけとなりました。少し背筋が伸びました。

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