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マルタ・クビショヴァー

YouTube用にマルチヌーの《ミニアチュアのフィルム》を録音しました。この曲についてはまた後日お話したいと思いますが、パリにいたときに作曲し、パリでの影響が見られつつ、マルチヌーらしさに溢れていて、「亡命者」マルチヌーの人生についても考えるきっかけとなりました。

そういうわけで、2000年にNHKで放送された『ヘイ・ジュード 革命のシンボルになった名曲』を引っ張り出して観ました。このドキュメンタリーは、マルチヌーの死後、チェコスロバキアの、1968年の「プラハの春」から始まる民主化に向けた一連の戦いについてです。マルタ・クビショヴァーはチェコでは誰もが知る国民的歌手であり、ソ連の軍事侵攻の際、反体制ソングとしてザ・ビートルズの《Hey Jude》のチェコ語版を歌い、国民を勇気づけました。また、共産党政権が崩壊した無血革命「ビロード革命」の際には、広場に集まった100万人を前に《マルタの祈り》を歌ったそうです。この曲は1968年に、平和への祈りを歌った自身のヒット曲でした。しかしマルタ自身は、映画監督のヤン・ニェメツと結婚するまで政治への関心はあまりなく、反体制活動家の夫により影響を受けたと語っていて、また、この曲の録音直後に何の前触れもなくソ連が侵攻してきたので、そうであれば少なくとも《マルタの祈り》を録音したときには、それが反ソ連なの象徴的な歌になるとは思いもよらなかったのでは…。政治における音楽の役割について、興味深い事象のひとつです。

プラハの春からビロード革命までの間、マルタは当局に常に監視され、何度も連行され、取り調べを受けたそうです。それでも屈することなく祖国のために闘ったのでした。最高にカッコいい。

当局は、各界著名人に体制を受け入れる声明を出すか、国を捨てるかの選択を迫ります。マルタは言います。「ソ連の戦車に唾を吐いていた人が翌日には『ソ連には感謝している』なんて言うんです」。国民が分断された瞬間でした。一見すると、チェコスロバキア対ソ連ですが、実際にはソ連に追従した、あるいは追従させられた自国民が多数いたわけで…。不本意ながらそうした人は、守るべき家族、守るべき生活があってそうしたのでしょうが、その時代が終わった後はどうなったのか気になってしまいました。亡命した人、信じて追従した人、偽って追従した人、残って闘った人。音楽はそれぞれに平等であって欲しいですが、20世紀という時代はそれを許さなかったように思います。

わたしの、チェコの音楽をめぐる旅は、まだまだ続きそうです。

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