17日(火)に迫ったクリスマスコンサートの準備に追われています。このコンサートは、わたしが1年にいちど開催しているモーニングコンサートにいつも来て下さっているお客様の中からリクエストがあり、実現したものです。曲目は、バッハのフランス組曲第5番から始まります。わたしが初めてチェンバロを人前で演奏した曲です。
バッハの作品はもちろん幼少期から勉強していて、中学生くらいまではリヒテルやニコライエワ、そして当然グールドの演奏に親しんでいました。グールドにはかなり熱中しましたが、高校生のときに、レオンハルトのチェンバロや、鈴木秀美さんのチェロ、有田正広さんの吹くフルートを聴き、どこかもやもやした部分が生まれてきました。例えば有田さんのフルートはところどころピッチが不安定である(当時はトラヴェルソなるものも知りませんでした)のに、何か惹かれてしまうのです。他の古楽器の演奏でも、テンポが一辺倒ではない、ところどころゆらぎが生じていて、それがまた良いのです。ひょっとすると、自分の知らない世界があるのではないか、と思ったのがバロック音楽に興味を持ったきっかけでした。
バロック音楽の大切な約束事に、拍節感というものがあります。拍のなかにも優劣があって、たとえば1拍目は高貴な拍だとか、小節の4拍目は惨めな拍だとか、そういう考えがあり、四分音符が4つ並んでいても、それらは同じ長さ、同じ重さになることはないということです。そのことは、「ゆらぎ」とも関連しています。
ベートーヴェンの作品ですが、《エリーゼのために》という小品があります。ミレミレミシレドラ〜と始まるのですが、小学生でこの曲を弾いて以来、違和感を感じていました。始めのミレはアウフタクトになっていて3拍子のはずなのですが、どうしても出だしだけ4拍子に聞こえて(弾いて)しまうのです。拍節はどこにいってしまったのか…?あるとき名手メルビン・タンの演奏を聴き納得しました。始めのミレはアウフタクトらしく、ボウイングでいえばアップのイメージで弾くと、そこに少しためらいが生まれ、その後は自然に流れていきます。結果、わずかなゆらぎが聴こえてきます。初めて、この曲の冒頭にある「poco moto」が説得力を持って見えました。
今回はそんな《エリーゼのために》も演奏します。